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1883年、フランス中南部オーベルニュ地方に生まれたココ・シャネルことガブリエル・シャネルは美貌とあふれる才能で経済力に富む男たちから保護を受け、初めての店となる帽子店を1910年にパリ・カンボン通り21番地でスタートしました。
「グランド・マドモアゼル」の愛称をもっていたシャネル、実はとても恵まれない少女時代を過ごしています。
シャネルが10代の頃、母親が他界し、シャネルは孤児院で生活することになります。 孤児院を出た後、シャネルはパリ南方のムーランという街でお針子として働きますが、歌手に憧れ、あるミュージックホールの歌い手となりました。
その後イギリス人のアーサー・カペルと出会ったことで、劇的な転機を迎えることとなったのです。
1910年パリのカンボン通り21番地に帽子屋「シャネル・モード」をオープンさせ、当時は装飾の多い帽子が多かったなかに、シャネルの帽子は飾りのないシンプルなもので造られておりました。
その後立て続けに富裕階級のリゾート地であった、フランス北西部ノルマンディ地方の街ドーヴィルにブティック(1914年)や、南西部アキテーヌ地方のビアリッツに店(1916年)を出店。 それまではシルクと宝石にくるまれていた女たちに、当時は馬の世話をする人が着る素材であったジャージー素材の服を着せ、意表をついたコレクションで上流社会の話題を呼びました。
1921年にはカンボン通り31番地へとブティックを拡張し、最初の香水となる「シャネル No.5」を発表。 翌1922年には「シャネル No.22」「ガーディニア」など立て続けに7つの香水を発表。その3年後の1924年にパルファンシャネル社を創立するなど、ビジネスの手腕を見せました。
1925年あたりからシンプルシックな現在の“シャネル調”といわれる作風に脂が乗り始め、1926年にはシャネルの歴史に残る「リトルブラックドレス」を発表。
1928年にはツイードで仕立てた初めての紳士物のスーツを提案、1930年には映画スターのための衣装を作製するためハリウッドと契約します。 そして1934年にはコスチューム・ジュエリーのコレクションを展開するなど、着々と事業を拡大し、黄金時代を築いていきます。
成功の秘密は、男性の下着や野外用であったジャージーやツイードなどの機能的な素材を女性の服に取り入れる革新的な試みや、スポーティな服にふんだんにゴールドやストーンのアクセサリーを取り入れることによって、着る人の個性を引き出し、より独創的な着こなしを楽しめることを示したことでありました。
発想の新鮮さは、新しいもの好きの社交界の女性のみならず、車などのモータリゼーション(移動手段)が発達し始めた時代を背景に、戸外で活動する機会が増えた女性たちの欲求をとらえていたのである。
黄金時代の後、第二次世界大戦によりブティック閉店を余儀なくされるが、1954年には再び同じ場所(カンボン通り)にブティックをオープン。
翌年の1955年には「20世紀の最も偉大なクリエーター」としてモード・オスカー賞を授与されている。
また1959年にはニューヨーク近代美術館に「シャネルNo.5」の香水瓶が展示されました。
その後かつての黄金期を超える作品は発表されなかったものの、当時社会進出を始めた女性たちや女優などのセレブリティたちは、シャネルの合理的でエレガントな服を愛し、デザイナーシャネル自身も伝説的な存在となっていきました。
「わたしは流行を生み出しているのではない。スタイルを創りだしているのです。」
自らが生み出す「ファッション」によって、「女性の生き方」=「スタイル」を提示し続けたココ・シャネル。
美しさは女性の「武器」であり、装いは「知恵」であり、謙虚さは「エレガント」であるとココ・シャネルの名言が残っています。 シャネルは""人とは違う魅力=個性""を大切に、時代や流行のみに流されず、一貫したスタイルと個性を大切にするブランドです。
そのスタイルが現在でも世界中の女性から共感されてる、フランスが誇る名門ブランドです。
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